2014年7月山梨県北斗市の清春芸術村を訪れ、梅原龍三郎の アトリエを見てきました。 このアトリエは吉田五十八が設計し、1952年に市ヶ谷の 梅原邸敷地内に完成した建物ですが、梅原の死後清春芸術村に 移築保存されています。 吉田は近代数奇屋を完成させた建築家として知られ、 そのデザインにはいくつかの特徴が見られますが、 このアトリエにも吉田が目指した近代数寄屋の特質が見て取れます。
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今でこそ数奇屋建築は日本建築の優れた特徴の一つとして 世界中から尊敬の眼で見られていますが、昭和初期の日本では 数奇屋建築は時代の潮流からはずれた古臭いものと考えられていました。 めざす近代建築のヒントになる多くのものを 数奇屋建築が持っていることを気付かせてくれたのは、 当時日本を訪れた欧米の建築家たちであり、吉田はそのことにいち早く気付き 自分の作風に取り入れていきました。
■梅原龍三郎アトリエ