1854年佐賀県唐津生まれの建築家です
造船の路に進むことを志して1873年工部寮(現東京大学工学部)に入学しますが
後に造家に転向、1879年第1期生として卒業した後
イギリスに留学し、J・コンドルの師であるW・バージェスの
事務所で修業しています
1883年帰国、翌年工部大学校の教授に就任し伊藤忠太や長野宇平治、
武田吾一など優秀な人材を育てています
1898年東京帝国大学工科大学長に就任、また造家学会(現日本建築学会)の
創設にも尽力し、第3代会長に就任しています
1902年に大学を退官した後に、東京と大阪に建築事務所を開設し
多くの作品を残しています
1919年国会議事堂の審査員を務めたあと病に倒れ65歳で死去しています
代表作である東京駅の他に日本銀行本店、日本銀行大阪支店、旧岩手銀行本店本館、
奈良ホテル本館等が現存しています