サン・カルロ・アッレ・クァトロ・フォンターネ聖堂


■サン・カルロ・アッレ・クァトロ・フォンターネ聖堂

今回のイタリア旅行の目的の一つ、サン・カルロ・アッレ・クアットロ・フォンターネ聖堂(1646年完成)を 訪ねました。
クィリナーレの丘を走るクィリナーレ通りとクアットロ・フォンターネ通りの交差点に 四つ角の隅を切り欠いて四つの泉が造られています。その角の一つにボッロミーニが設計した ローマバロック建築の最高傑作と謳われるこの聖堂はあります。
狭い敷地に要求された機能(修道院と回廊と聖堂)を詰め込む苦労が理解できるようなファサードですが、 よく見ると凹面と凸面がうねる様にデザインされていて、しかも上階と下階が分断されています。
上階の中央上部(現代風に云えばパラペット)には卵型の巨大なメダイヨンが載っていて、 二人の天使がそれを支えるこれぞバロックという複雑な形になっています。
しかしボッロミーニの才能が、そして力の入れようが見て取れるのは内部です。 楕円形のドームは十字形、八角形六角形が複雑に絡み合っていますが、 過剰な装飾は見当たらず、漆喰塗りだけで表現された空間は、他のバロック建築とは一線を画す 静謐な祈りの空間に昇華されています。
また惚れ惚れするのは、この楕円の形そのものです。ちょっと他では 見ることができない美しい楕円形をしています。
楕円形ドームの下部は、曲率の違う多くの曲線が複雑に交差していて、空間全体がうねりながら 上昇していく感覚は、見事というほかありません。
内部の回廊も又、静かで落ち着いた空間がデザインされています。長方形の四隅が切り取られ 八角形になっていますが、柱も壁も漆喰だけで仕上げられたモノトーンの空間は、 バロックというよりむしろ15世紀に活躍したアンドレア・パラディオの古典主義に 通じるものを感じさせます。

■ボッロミーニ

フランチェスコ・ボッロミーニ(1599〜1667)は 現在はスイス領になっているルガーノ湖近くで生まれ、 石工だった父にならってミラノで修行、その後ローマに出て 当時既に評判の高かった彫刻家兼建築家ベルニーニにバチカン広場が任されると 彼の元で働き始めます。
才能も自信もあったボッロミーニは直ぐに頭角を現し、ベルニーニがパラッツオバルベリーニの 設計を依頼されると、ベルニーニが左翼の階段を、ボッロミーニが右翼の階段を担当するまでに 力をつけていきます。
が、神経質な性格で分裂症気味だったボッロミーニは、しばしばベルニーニと対立、 袂を分かち以後二人はライバルとして、ローマに数々の作品を残していきます。
独立して最初に手掛けた仕事がサン・カルロ・クアットロ・フォンターネ聖堂です。


■バロック

当初バロック的なものは「歪な真珠」と侮蔑的に呼ばれ、芸術の傍流でしかなかった動きですが、 絵画や彫刻、そして建築が一体として見え始めると、宗教改革に対抗するカトリック勢力の有効な 表現手段として認知され始めます。
ベルニーニの彫刻、カラヴァッジョの絵画、そしてボッロミーニの建築等に 影響を受けた作品がローマだけでなく世界中に広がっていくことになります。
バロック建築を特徴付ける一つにドームの形があります。真円が楕円というより複雑な形に 変形し始めています。
地球上の精神世界の中心は唯一カトリックのあるバチカンであると意識に変化が生まれ、 多様性を認め始めた証と取れるかも知れません。





■クァトロ・フォンターネ聖堂







=MEMO=

写真上段左は四辻角から見た全体像、右は聖堂内部のドームを見上げる。 楕円形ドームの中央に更に採光用の小さな楕円形の開口部が見える
中段左右は聖堂内部天井と壁面を見る。多くの曲線が複雑に絡み合っている
下段右は回廊と中庭を眺める




‖HOME‖ inserted by FC2 system