メインの玄関はどこかと探していると、何と滄浪池が入り込んだ
床下の船着き場が玄関というから驚かされます
この船入りの間から八景の間、そして格式の高い招賢殿へと
繋がっていきます
二階に上ると三十六歌仙絵の描かれた歌仙の間がありますが、
外部の板戸にも歌仙絵が描かれています
三階は小さな物見台のような一室空間で、摘星楼となんとも
魅力的な名前がついています
実はこの建物、いつの時代に誰によって何のために造られたのかが
よく解かっていません
秀吉によって造られた聚楽第の遺構との
説が一般的ですが、江戸期の建物という説もあります
この洒落満載の建物は、実は文化度の高い旦那衆たちが
ここに来て歌を詠み、茶を点て、星を眺める、そんな
文化サロンの交流センターではなかったのか、
こんな遊び心満載の建物は、楼閣建築というより遊郭建築と
呼ぶにふさわしい、という私の推論は大胆過ぎるでしょうか