仏国寺の石


■慶州

日本中で猛暑が続いた7月始め、慶州(韓国名キョンジュ)に行く機会がありました
慶州は三国時代から、朝鮮半島を統一した統一新羅の時代まで、新羅の首都として 栄えた所です
市内には各時代の王の墳墓や仏教を庇護した王国らしくたくさんの寺院跡が 残り、石仏や石塔に見るべきものが多く残されています
上部構造は何も残っていないため、基礎や石組みから当時の姿を想像する しかありませんが、国立慶州博物館に残る多くの発掘品や遺品からは、 当時の新羅の文化レベルの高さが偲ばれます
修学旅行生で賑う様はさしずめ韓国の奈良京都といったところですが、 特に花崗岩が多く産出されたせいか石へのこだわりが強く、それが 日本が木の文化なら朝鮮は石の文化と云われる所以かも知れません

■仏国寺

市内中央から30分程のところに仏国寺があります
774年に完成した伽藍は最盛期60もの寺が建ち並んで いたそうですが、新羅滅亡後朝鮮政府の仏教弾圧政策で 廃寺となって荒廃しました
更に1593年の文禄の役での加藤清正軍との戦で 全ての伽藍が消失し、石造部分だけが残されましたが、 1972年以降徐々に再建されています
正面の二つの石橋や正殿前の二つの塔は建設当初からの もののようで、特に青雲橋、白雲橋と名付けられた 紫霞門前の石橋は力強い表情をもち、アーチ形式の 踊り場には要石が明確に現れています
正殿前の二つの塔の内、釈迦塔は現在解体工事中で 見ることが出来ませんが、もう一方の 多宝塔は非常に凝ったディテールで 日本では見ることの出来ない石塔です
盛土擁壁の石組にも石造の楔を打ち込むなど、日本にはない ユニークな形が見られます






■青雲橋・白雲橋




■蓮華橋・七宝橋




■石組擁壁




■石塀




■多宝塔・石製手摺




=MEMO=

正面右側の橋は下部が青雲橋、踊り場をこえて上部が 白雲橋、紫霞門をくぐって正面に仏国寺の正殿である 大雄殿がある
正面左側の橋は下部が蓮華橋、各段に蓮の花が刻まれて いる。踊り場をこえて上部が七宝橋、安襄門をくぐって 正面に極楽殿がある
盛土擁壁の石組み交差部には石造の楔が打ち込まれて いるのが判る
石塀はまるでモンドリアンの絵画を見るような美しさ
多宝塔は高さ10.4m、新羅の代表的な石塔とは違い 饒舌で要素の多い建物、正方形で基壇の四面に階段を 配置、上部に獅子が飾られている。上部は八角形の 欄干や屋根が載っている




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